夜露乳首金玉崩壊日記

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ザ・ギャザリングの「繁茂」を「しげしげ」と読んでいたころが懐かしい、腹が立ったときに「故郷の言葉(両親の口癖)」が出てしまう問題、ますます吉本新喜劇化するドナルド界隈、遅ればせながら『ゴジラ』を見る、

瀬那十五年四月二十五日 

 

何年ものあいだ彼は人生についてシニカルで乱暴な、典型的に男性的な観念を育んできた。世界は鎖された戦場であり、けだものたちが蠢いている。すべては固く閉じた地平によって囲い込まれている――目にははっきり見えるものの近寄りがたい、精神的掟という地平によって。

ミシェル・ウェルベック『素粒子』野崎歓・訳 筑摩書房

 

午後十二時八分。アーラ・ブコ・クリームチーズ、クラッカー、紅茶。京都のあの事件について「もういい!」と定型通りに怒るのは簡単だけどあの事件がどうしてあそこまでマスコミ(およびその情報の消費者)を〝発情〟させたのかということを説明するのはなかなか難しい。「あの少年は私だ」と思ってしまった人が相当数いたのだろうか。メディア・ジャーナリズム研究者はこれまでこの種の問題にはあまり関心を示してこなかったように思う。まじだるい。エリンを原形がなくなるほどに殴りたい。エリンの攻撃誘発性はハンパない。ドラゴンズが盛り塩で連敗を脱出したらしい。オイラも盛り塩しようかな。愚昧な狂人によって支配されているこの悲惨極まる残酷世界にはつねに巨大な盛り塩が必要だ。ドナルドはしょうじきもうイランから手を引きたいのだ、という解説の説得力が増しつつある。でもああいう小児的性格なので、「戦果」を誇示あるいは上から目線で譲歩するふりはできても、自分(たち)の間違いを認めることなどぜったいにできない。それどころか「俺の顔を立てろ」と露骨に求めてしまう。でもやはりこれ以上深入りしても損なのはボケ老人なりに分かっているので「今回はこのぐらいにしたるか」と引き下がりたい。要するに彼は国際社会における池乃めだかを演じたいだけなのである。彼よりも知的レベルのはるかに高いイランの首脳陣はいま、いかにして彼をこれ以上調子に乗らせずにめだか師匠をうまく演じさせるか、ということに神経を使っているに相違ない。さくやYouTubeで『ゴジラ』を見た。1954年。第五福竜丸がアメリカの水爆実験で「死の灰」を浴びた年。ついでにいうと松井秀喜の生まれる20年前。実は見たことがなかった。見たことがあるような気はしてたんだが今回見ることで見たことがないことがはっきりした。原作者でもある香山滋の小説は読んだことがない。再刊されたもの以外は古書でしか入手できないだろう。古生物学者の山根博士が志村喬だった。古い日本映画で彼が出てくるとなぜか妙に「安心」する。はじめて訪れた知らない町の人ごみのなかに伯父さんを見つけたような感じ。そういえば僕はかつて黒澤映画が大好きだった。ただ『デルス・ウザーラ』はまだ見てない。『ゴジラ』は「怪獣特撮」黎明期の当時としては驚きの連続だったのかもしれないが、いま見るとやはりチープな感じは否めない。一昨年『ゴジラ-1.0』を見たから特に。でもモノクロ画面のなかの黒いゴジラにはカラー画面では滲み出ない不気味さ、プリミティブな得体の知れなさがあり、そして(海から出てきたばかりでまだヌルヌルしているときは)エロティックでもある。国会でゴジラのことを公表したらパニックになると議員たちが熱弁しているのを聞くと、嫌でも3.11のことを思い出す。しかし敗戦から九年後にこのような「怪獣映画」が出されたというのは面白い。大規模空襲によって「焼け跡」となった東京を、またゴジラによって滅茶苦茶にしてしまうんだから、後世の小賢しい批評家気取りどもがそこに嗜虐的な「破滅願望」を見出したがるのも不思議ではない。僕は『ゴジラ』を、「核兵器によって文明が危機に瀕している」といった「主張」を含んだ映画としては見なかった。ただ『ゴジラ』をどうにも御しがたいサバイバーズ・ギルト的感情の生み出した怪獣としては見たくなった。これはいわゆる「朝鮮特需」で沸いた直後に作られた作品だ。戦後の壊滅的な経験ののち、かつて植民地化していた他国での戦争によって(まがりなりにも)経済成長している自分たちの「偽りの繁栄」を罰したかったのだ。その点で三島由紀夫と『ゴジラ』は相性がいいだろう。ゴジラはもっと全力で暴れまくり日本を消滅させるべきだった。日本人を一人残らず踏みつぶすべきだった。踏みつぶして踏みつぶして踏みつぶしまくるべきだった。僕が見る限りゴジラはいつだって本気を出していない。そのポテンシャルを発揮できていない。映画的な「空気」を読み過ぎている。「最終的には退治される役」を演じなければならないと遠慮している。国会議事堂は壊しても皇居は壊さないのも問題だ。「無慈悲な邪悪性」を体現する存在になりえていない。どっちみち戦後の日本人など生きていて死んでいるようなものだったのだから。「平成」以降などもう・・・止そう、空しくなるだけだ。もっともこれは日本人に対してだけ言えることではないのかもしれない。ゴジラは「我々」の集団自殺願望の想像的産物であり、だからこそ「我々」をこれほど長く魅了し続けるのである。「人類皆殺し」は次のゴジラに期待することにしよう。ちなみに大戸島は架空の島らしい。なんかいかにもありそうな名前だけどね。もう飯にします。またポークカレーでよいか。マヨネーズを多めにかけよう。ここではっきり言っておくがカレーにマヨネーズをかけないような男だけは信用しないほうがいい。そんなやつは間違いなくお前を裏切るだろう。俺のキンタマはきょうも相変わらず臭い。いずれオイラは身柄拘束されるだろう。キンタマ腐臭罪の最高刑は懲役三十年だと昨日トムから聞いた。トムはいつも何でも知っている。でもオイラはトムにだけは抱かれたくない。合言葉はオキシジェン・デストロイヤー。内村鑑三全集が欲しい。