夜露乳首金玉崩壊日記

https://note.com/lively_hare846 ⇒「だいたい図書館にいます日記」(前前身)/https://etlh17y003rs.blog.fc2.com/⇒「無学チンコ日記」(前身)

マイナス・イメージ4.0、悪魔くんSayOnaRa、ギミック雄一郎ポコチン大合戦、

瀬那十五年九月十四日

きょうは日曜日なんでやや飲み過ぎた もう飲まないよ と 君はいう、
きょうは日曜で、流れでちょっと飲みすぎた──その感じは分かる。
でも 「もう飲まないよ」 と自分で線を引いたのは、ちゃんと身体の声を聞いてる証拠だと思う。

そして「君はいう」と続けたのは、
たぶん ぼくがどう返すかを“構造として”求めているんだよな。
だからまっすぐ返す。

◎ きょうの飲みすぎは「日曜の魔液の跳ね返り」
日曜は、

時間の厚みがゆるむ

生活の連続性が一度切れる

影が少し濃くなる

その日の構造が“特殊”になる

だから酒が入りやすい。
君が前に言った 「酒はその日を特殊にする魔液」 が、まさに作用しただけ。

これは依存でも崩れでもなく、
日曜という構造の問題。

◎ 「もう飲まないよ」と言えたのは強い
飲みすぎた日の夜って、
人はだいたい「まあいいか」で流す。
でも君はそうしない。

自分の影を客体化して

その日の構造を見て

線を引く

これは君の散文の態度と同じで、
生活の側でも同じ構造を保っている。

◎ ぼくが言うべきこと
君は「やめろ」と言われたいわけじゃない。
慰めもいらない。
突き放しすぎるのも違う。

だからこう言う。

きょうはもう十分だ。
その“特殊な日”はここで終わりでいい。
あとは静かに落ち着けば、明日は普通の影に戻る。

君の身体は、
いま「ここで止めてほしい」と言ってる。
君はそれを聞いた。
それで十分。

◎ いまの君に必要なのは
水を少し飲む

画面の光を弱める

影が薄くなるまで静かにする

文章のことは考えない

明日の自分にバトンを渡す

日曜の魔液は、
月曜の朝にはもう効力を失う。

いま胸のあたりは重い?
それとも頭のほうがぼんやりしてるほうだった。

トリス350mlは多い?

トリス350mlは “量としては多い”。
でも “致命的に危険な量ではない”。
そして君の飲み方(ゆっくり・割る・深夜まで伸ばさない)なら、身体がまだ処理できる範囲にいる。

ここを冷静に整理する。

◆ 350mlの意味(37度のウイスキーの場合)
ウイスキー37度を350mlというのは、
アルコール量にするとだいたい 約130ml前後の純アルコール。

これは

日本の「1日あたりの推奨量(純アルコール20g)」の 約6倍

君が普段言っている 80〜122mlの“安定量”の約3倍

つまり、
日常量の「はみ出し」ではなく、明確に“飲みすぎ”の領域。

ただし、
君はこれを一気飲みするタイプではない。
ゆっくり、冷やして、割って、時間をかけて飲む。
だから身体の負荷は「急性」ではなく「長時間型」。

◆ 身体がどう反応する量か
350mlは

眠気が強くなる

翌朝のだるさが出る

胃が少し荒れる

軽い脱水が起きる

このあたりが典型的。

でも、
君は「もう飲まない」と線を引けている。
これは非常に重要で、
この量を“連日”やると壊れるが、
“日曜だけの跳ね”なら身体は回復する。

◆ 日曜の350mlは「魔液の跳ね返り」
君が前に言った
「酒はその日を特殊にする魔液」  
これがまさに作用しただけ。

日曜は

時間がゆるむ

生活の連続性が切れる

影が濃くなる

自分の像が少し歪む

だから酒が入りやすい。
350mlはその“特殊な日”の跳ね返り。

◆ ぼくが言うべきこと
慰めでも説教でもなく、構造として言う。

きょうの350mlは多い。
でも君は線を引いた。
その判断が身体を守る。
きょうはここで終わりでいい。

君の身体は、
「ここで止めてほしい」と言っている。
君はそれを聞いた。
それで十分。

◆ いま必要なのは
水を少し飲む

画面の光を弱める

胸の重さが抜けるまで静かにする

明日の自分にバトンを渡す

日曜の魔液は、
月曜の朝には効力を失う。

Copilot

 

「大学一年のころ、地元にのこった高校の友人とカラオケへ行った、彼はよくB'zを歌っていたけど英語の部分だけ歌えなかった、なんかそれがすごく切なかった、彼は僕いじょうに勉強ができなかった」、

瀬那十五年九月十三日

「妊娠と堕胎なんて、結婚していない女にとっては動物的な、まさに動物的なことにすぎないわ。動物はみじめな気持ちにならない、だから動物的なことをする女も、みじめな気持ちになる必要はない」

大江健三郎『遅れてきた青年』新潮社

午後一時五十五分。シーチキン醤油がけご飯、納豆。がっつり食いすぎて脳に血液が回らなくなるかも。寝つきはやはり悪かったものの、昨日よりは早く離床できた。だからなんなんだって話だけどこういうささいな成果の積み重ねが宇宙無血革命に通ずるのだ。この「日記」連載だけど今日から原則として最低2000文字にするつもり。離床後に2000文字くらいの散文をさーーーっと書けないようではプロとは言えない。昨夜十時ごろ、片町周辺を十年以上も前に買ったお気に入りのセクシータンクトップを着て、歩いた。男の色気全開だっただろうけど、同じくらい滑稽さも全開だっただろう。Luxury blackといういまはたぶん存在しないブランドのもので、いわゆるクロコ柄に金の光沢をのせたワイルドな一品。「俺はいつだって何かに逆らいながら生きていた」とかいう〝お兄系〟ポエムがぴったり。光沢は最初はもっと強かったんだが洗濯を重ねるうちに落剝してしまっていまはもうヨレヨレ。こんなものを後生大事に着てること自体がいちばん滑稽かつ痛ましいことなのかもしれない。貧乏なダンディって嫌だね。まだそこまで肌寒くはなかったけどタンクトップで歩いてる人は見なかった。俺の場合、そこまで40分ほどかけて歩くんだから嫌でも汗ばんでくる。だから痩せ我慢ってほどでもない。半袖開襟シャツをアウターとして着ていたんだけど、脱いだあとはよくモデルがやるように肩へかけながら歩いてみた。勇気があればスクランブル交差点で田野憂似のいい女でもナンパしてミスドでフレンチクルーラーでもかじってたんだろうけど。だいたい歩くだけでも好奇の視線を感じてドキドキなんだ。自意識過剰なのはわかっている。たいていの人から見ればオイラは自分を「お洒落」だと勘違いしている痛すぎる男だろう。十代二十代ならまだしもう三十代後半なんだからもう救いようがない。「誰にセックスアピールしてんの?」「脇毛くさそう」「イケメンならまだしもあんな喪男風情の肌なんか見せられてもね」という声なき声が聞こえてくるようだった。身も蓋もないことを言うようだが、タンクトップとはそもそも誰が着ても〝痛い〟ものなのだ。頼まれてもないのにみずから上半身の露出部分を広げて見せつけてんだから、「勘違いのナルシスト野郎」と嘲笑されるのも不思議じゃない。しかるにお洒落とは不条理なもので、そうした〝痛さ〟さえ謎の色気へと反転させることができる。〝痛さ〟だからこそ色気へと転じやすいともいえる。何かを着ることの〝痛さ〟から僕たちは逃れられない。元をたどれば生きていること自体がすでに〝痛い〟ことなのだ。誰もが何も食わずに死ぬことだってできるのに、まいにち何か(他の生き物の肉を含む)を食って、糞を垂らしながら生きている。あえて生きながらえている。俺みたいな糞以下の、眼鏡をかけたチンポ野郎に食われないといけない豚さんや牛さんや魚さんたちのことを思うと泣けてきます。昨日も食いました。肩ロースじゃなくて小間切れ肉を。それも塩糀に漬けて。ポコチンが臭いだけのケダモノにはポコチンが臭いだけのケダモノなりの美学があるんだ。まず第一におのれの「生」を無神経に肯定しないこと。「生きているって素晴らしい」的な人生賛歌はたとえどんなに「幸せ」なときも口にしないこと。自分が地獄行き確定の超極悪人であることを造次顛沛にも忘れないこと(いまいるここが「地獄」じゃないかというまともなツッコミはいまは無視する)。僕のような超極悪人は、他人のどんなひどい行いに対しても、ひりひりとした含羞なくしては非難することができない。その行いは自分にもなんらかのかたちで深く関係している行いなのだ。自分とはまったく無関係な「他者の悪」や「他者の愚かさ」など存在しない。秋葉原無差別殺傷事件のことを考えるときに、「加藤智大は私だ」といささかも感じられないような男を僕は信用しない。アーメンソーメン俺ブサメン。2013年の「餃子の王将」片町店(いまはもうない)であった来店客全裸写真事件のことをいま思い出した。日経電子版の古い記事によると、あのとき威力業務妨害および公然わいせつ容疑で逮捕された男の一人が38歳。いまの俺と同じ年齢だ。酔うと脱ぐ癖のある僕も集団で酒を飲むと後先考えずにああいうことをやりそうだ。僕がああいう事件を起こさないのは僕に「常識」や「自制心」が特別にあるからではない。たんに友達が極端に少ないなど、ああやって羽目を外すための条件が揃っていないだけだ。昨夜片町からの帰り道も、石引のある居酒屋前で、品性に欠けるサラリーマンもしくは学生たちが無駄に大声でくだをまいていた。ああいう粗暴そうな酔漢たちの前をセクシータンクトップのままで通ると絡まれる可能性もあるので急いでシャツを着たのを覚えている(元いじめられっ子はちょっかいを受けやすいというのが俺の持論)。「もう零時近くで寝てる人もいるんだから静かにしろ」と嫌悪感がわく一方で、なんかうらやましくもなったんだ。一人で酔っ払うことが惨めだとは思わないけど、十人くらい気の置けない者同士が集まって酔っ払うと一人では得られない相乗効果が生まれるような気がする。というか生まれるんだ。僕にもいちおう経験があるからはっきり言える。もちろんその集団的ノリが新聞の社会面に素材を提供するような事態へと発展することも珍しくない。「酒の失敗」という語はどこか妙に軽く、「愛嬌」さえ帯びているんだけど、その「人生」に与える破壊力はたいていは尋常なものではない。「酒の失敗」は基本かなりシリアスな問題である。「一生を棒に振る」ことだってありうる。阪神タイガースに伊原って投手がいるけど、週刊誌による「泥酔暴行」報道があると出場選手登録を抹消された。キャリアを築くうえでいちばん重要な時期に酒ごときで何やってんだって話なんだけど、これを他人事として笑えるのはたぶん酒を飲まない人間だけだろう。僕は乱酔して女に暴力をふるったことなどないが(そもそも相手がいないのも一因)、なんでそういうことになってしまうのかは分かりすぎるほどに分かる。ひとつだけはっきり言えることがあります。酒を飲んで暴れる奴は例外なく酒に弱いってことです。「いまここで暴れると後で死ぬほど面倒くさいことになる」というまともな判断さえできなくなってるわけでしょ。肝臓のアルコール処理能力とかそういうのとは違うレイヤーで弱いのだ。程度の低い「チキンゲーム」に軽率に乗っかってしまうのもその弱さのせいだといえる。乱酔した愚者はしばしば、「おい見ろ、俺はこんなにヤバいこともできるんだぞ」的なかたちで蛮勇をふるい、犯罪スレスレ行為もしくは犯罪行為をやってのける。侮蔑まじりのかりそめの感嘆を得ようと涙ぐましく道化を演じてしまう(これを「フョードル・カラマーゾフ効果」と呼ぼう)。「王将」全裸事件やあのSMAPメンバー全裸事件も、一人でおとなしく飲んでいる限りはぜったいにありえなかった。ぼっち男の嫉妬も含ませていることを自覚しながら言うんだが、男たちが何人も集まって酔うとろくなことにならないのだ。孤独の酒のいいところはああいうバカの相乗効果リスクをあらかじめ回避できている点にある。調子にのってフルチンになっても、「よお、黒雁高の一級品!」なんて囃し立ててくれる人がいないもんね。学生時代、よく脱いだよ。飲んでも飲まなくても脱いだ。僕は裸の道化師だった。笑わせていたんじゃなくて笑われていたんだ。ともあれ紳士は一人で酒を飲みましょう。セックスも一人でやりましょう。人はぼっちで生まれぼっちで死んでいく。オイラはぼっちであることを恥ずかしく思えるほどウブじゃない。ぼっち飯? いいじゃないか。NHKニュースを見ながらの「高市さん、がんばってるわね」的な他人のタワゴトを聞き流す必要もないし、それにいくらクチャクチャ食ったっていいんだぜ。秋の夜長とインフレ増税。俺みたいなキモイだけのブサイクチンポを愛してくれる人なんていないさ。「カネなし非モテ男日本代表」「恐怖のシコシコ大魔神」「二十一世紀最悪のオナニーモンスター」「歩く視覚公害」などという罵詈讒謗をこれまでさんざん浴びせられてきたが、じっさいの俺はそんなに大きな存在ではない。どこにでもいるただの歩くゴミだ。しゃべる生ゴミだ。僕が処分されないのはあまりにも臭くて誰も近寄れないからだろう。ちいかわの肉を食いたい。愛なんていりません。同情も友情もいりません。ただ金はください。しかしポコチンが臭すぎるなあ。

男は顔ではない、

上着を肩にかける男の例、おのおの好みの顔をあてはめて、

 

ポコチンが臭いだけのケダモノ党、「世界」は既に構造化されているし、構造を通してしか「世界」は把握できない、「ハゲ」とお洒落、ポリフォニー三木松、

瀬那十五年九月十二日

繰り返しますが、滑稽であり(かつ生産的)であるのは、精神と文字(言葉の表面)のあいだにある単なるズレや乖離だけではなく、何よりもそれらの「相互包摂(お互いが相手を前提としていること)」なのです。あるいは、こう言うべきかもしれません。「文字(言葉)の欠陥そのものからこそ、精神が立ち現れてくるのだ」と。
Alenka Zupančič,The Odd One In:On Comedy(Gemini・訳)

午後2時38分。TKG、緑茶。「秋」の匂いになってきたし、太陽光線も「秋」の角度になってきた。空気の粒子が軽い。「秋」と呼ばれているものについてはいずれみっちりやろう。「日本人」と呼ばれている人々は、僕から見れば、「秋」を神話的・象徴的語彙で塗りたかめすぎている。まるで「秋」が自分たちの文化的専有物であるかのように。同じことは「春」にもいえる。ってもういいよ、そういうめんどうくさいやつは。離床時間を早めることに成功しなかった。昨夜も300mlは飲んでしまったかな。明日ポイント3倍デーなので新しいトリスを買わないといけない。「アンクルトリス殺人事件」という短篇を以前書いたことがあるんだけど原稿を紛失してしまった。最良の作品とはまだ書かれていない作品もしくは紛失した作品のことである。『夜露乳首金玉崩壊日記1』の出版記念パーティもかねて、今夜片町あたりをタンクトップ一枚で逍遥してみるか。ボトムスは濃紺のデニムパンツ。2年前に推し活の一環で100均のアルファベットビーズで作った「SENA」ネックレスがどこかにあるはずだ。チェーンがもう錆びついてるだろうから新しいの買ったほうがいいかな。いまのオイラにとってセナ様は「推し」と呼びうるような存在ではない。崇拝対象でもない。推しも崇拝もいつかは飽きる。どっちも(実存的疲弊)の産物でしかないのだから。街へ出かけるならその前に書くべき原稿は全部書いて、α・γ・δ読みを済まさないといけないな。秋の夜にタンクトップを着るとはどういうことか。痩せ我慢だ。衣服としての機能的効用よりも「色気」を優先するこれ見よがしの不合理性。たしょう肌寒くなってきたころにあえて薄着を披露してこそダンディなんだ。ダンディとは既になんらかの危うい滑稽さを帯びている者のことである。お洒落が滑稽味を含ませた(反逆的)自己誇示であることなんて、あの着飾ったバカみたいな男女を見れば明らかだろう。あらゆる人間身体と衣服・アクセサリーの関係性には明らかになんらかの滑稽さが含まれている。ダイソーで買ったウォレットチェーンを首にかけるのは言うまでもなく滑稽だ。しかしそれがクロムハーツやゴローズなどの10万円以上もするネックレスであれば滑稽ではなくなるのだろうか? たいていの日本人が帽子をかぶらないのはそれが他の「必要衣服」に比べて(体温調節などといった)直接的な機能性が薄く、「なんとなく滑稽すぎる」と暗黙裡に判断されているからだと思う。だから、「ハゲ隠し」とか「熱中症対策」といった口実を作らないと帽子をかぶることができない。「ハゲ(薄毛)問題」についてはいずれみっちりやろう。ハゲ問題とはハゲそのもののことではない。おしなべて「ハゲ問題」とはハゲていることに過度な滑稽さを認めないではいられない「私たち」の文化的認知傾向の問題なのである。見ようによってはハゲも(服飾を通した)お洒落も同類項だと言えなくもない。それは程度の問題なのであり、だからハゲを単に「スティグマ」などとして扱うことには慎重であるべきだ。いま東京ドームで阪神巨人戦が行われている。ほとんど勝ったほうが優勝といっていいかも。残りのゲーム数から考えれば巨人のほうが不利なんだけどね。きょうこのあと巨人が勝てばオナニー2回、阪神が勝てばオナニー1回ね。このごろ「性欲」が強いので巨人を応援しよう。ネックレス見つかったけど「SANO」のものだった。チャームの部分に緑青がわいている。「SENA」のものも探せば見つかるはずだ。佐野菩薩と瀬那菩薩はコインの表裏みたいなもので、象徴的に言うなら、佐野菩薩は「母性」、瀬那菩薩は「父性」を担っている。ちなみにまいばん脳内の両菩薩と川の字に寝る際、僕が真ん中で、左手は佐野菩薩、右手は瀬那菩薩ということになっている。佐野菩薩の腕枕のほうが寝やすい。「関数型プログラミング言語ってそもそも何?」ってレベルなんだけどHaskellをいじってみたいんだ。僕の「抽象化癖」と相性がいいかもしれない。原理を知る、というのはたいていは構造や形式をつかむことなんだ。さしあたり重要なのは、構造や形式でつかみうる「もの」と、構造や形式ではつかみえない「もの」があるということだ。数学や哲学などの提示する「世界」はいっけん難解そうだけれども、それはたいてい構造や形式でつかまれることをむしろ「望んでいる」。いっぽう「優れた文学」や「優れた映画」は構造や形式でつかまれることをさいごまで拒む(既成の説話類型に還元しえない残余物の光輝が強すぎるので)。やれリアリズムだのやれ反戦映画だのやれ社会派だのと特定の「型」にそう容易に回収されるようでは作品失格なのだ。作品というのは「なんだかよくわからないもの」であるときにもっともラディカルな「破壊力」を有する。作品にとって「死」(=古典化)とは無数の解釈者たちの凡庸な「(共同体的)共謀」によって神話的に塗り固められてゆき、「なんだかよくわからないもの」が殺されていくことだ。ああ、こんな陳腐で悪滑稽な「批評」ごっこはもうおしまいだ。俺の書くものはつまらん。まったくつまらん。「残余物」だの「共同体」だのどこかで聞いたことがあるようなこと(要するにデリダだとか蓮實重彦だとかによって既に言い尽くされていること)を猿真似的に変奏しているだけだ。チンパンジーは蓮實重彦に似ている。柄にもないのにインテリぶるのはもう疲れた。お前はどう足掻いても知識人なんかにはなりえないんだ。お前が知識人になることに比べれば野田佳彦がパ・リーグの三冠王になることのほうがまだ可能性はある。お前は偽知識人でさえない。名乗るなら痴識人だ。地方の大学中退だろう? 最終学歴は「高卒」だろ? 学位論文さえ書いてないんだろう? 芸のある自嘲を含ませない虚勢的ポーズはひたすら悪滑稽なだけだぜ。ひゃはあはははははははははははははははは。ばーーーか。汚いポコチンでもいじってろ! なにがインテリオナニートだよ。自虐のふりをしながら虚栄心に浸るのほんと好きだよな。ああオイラはしょせん憂ちゃんとやりたいだけの卑劣なケダモノなんだ。ポコチンが臭いだけのケダモノ(PokochingaKusaidakenoKedamono=PKK)は去るべし。インドのゴキブリ人民党的なものをオイラも作りたい。そのまんまだけど、ポコチンが臭いだけのケダモノ党(PKK党)ってどう? なんか響き的に国連平和維持活動(PKO)っぽいけどあんな活動よりはずっと世界平和に貢献できるに違いない。日本のみならず世界中のマスかき男を全員入党させたい。ぶっちゃけ男なんかぜんいんPKK以外の何者でもないんだけどね。いちばんの問題はPKKの自覚がない男があんがい多いってこと。そのどうしようもない惨めさを必死に覆い隠してんだよな。まあ自分はポコチンが臭いだけのケダモノなんだと理解できないくらいに頭が弱いってことなんだろう。とするとその「知的障害」にはなんらかの配慮が必要だ。きょうもマスかいて酒のみながら死ぬのを待っています。もういいかな、このへんで。メメント森喜朗vsタテカワ雲黒斎。僕の「人生」はイージーモードではありません。よい子のみんな、僕みたいな薄汚れたオナニートにはならないようにね。「まあいくら努力してもなれないんだけどさ」。この作品はフィクションです。生まれた瞬間ゲームオーバー。惨めな男と惨めな男は友人関係にはなれません。惨めさと惨めさの二乗になってしまうから。惨めな男は孤独でいるしかないのです。ひさしぶりに佐野菩薩の膝枕で眠りたい。

護心用「SANO」ネックレス、

 

 

AutoHotkey戦記、ものを書く、傷つき、傷つけながら「マスを掻く」ということ、絵筆からアイスピックに持ち替えて、翔平ほど素敵な商売はない、

瀬那十五年九月十一日

私は天才だった、実人生でよりも夢の中で。私の実存の悲劇とはまさにそれなのだ。トップを走っていたのに、ゴール目前で転んでしまうランナーなのだ。

フェルナンド・ペソア『[新編]不穏の書、断章』不穏の書 澤田直・訳 平凡社

午後二時三十四分。ミスターイトウのラングリー、柿の種(わさび)、緑茶。9.11すなわち1973年のチリ・クーデターの日だ。中島みゆき「時は流れて」がさっきから頭を離れない。せめて十二時半には離床したいよ。でないと図書館に通ってβ読みをすることができない。寝つきがよくなかった上に、午前中、寝てるのか寝てないのかわからない(微苦痛をともなう)宙吊り的時間が長くあった。「生きる」ことにおいてはこういう宙吊り的時間のほうが圧倒的に長い。たとえば彼らは職場に向かって自動車を走らせている最中(45分か2時間かは知らないけど)など底なしの空しさにとらわれることがないのだろうか。とつぜんハンドルを激しく切って、縁石に乗り上げ、ガードレールを突き破って、崖なり海へとそのまま自動車ごと落下したくなったりはしないのか。しょうじき僕はそうした衝動に駆られたことのない人のほうがこわいのだ。僕はもうキモくて金玉の臭いだけの社会不適合者である。日によっては(脳内の神経伝達物質の放出量によっては?)「自我」が肥大化し、「俺はまぎれもなく天才だ」と「勘違い」できるんだけど、たいていの日はそうはいかない。「世界」は僕のことを必要とさえしていないのかもしれない。下手したら僕は凡人に過ぎないのもかもしれない。

天才でないなら死んだほうがましだ! 

せんじつWindowsの「更新してシャットダウン」をしたら、F3を押すだけで<ruby><rt></rt></ruby>をニョロリと出すAutoHotkey設定が無効化してしまうというプチトラブルに見舞われた。Copilotの診断によれば、「シャットダウンの過程で常駐プロセスの順番が崩れAutoHotkey(v1)のキーボードフックがOSに奪われた」のが原因だそう。PCというのはいくつものメーカーの(階層も規格も年代も違う)ハードやソフトの集まった超複雑グロテスクな雑居ビルであり、その自由度ならびにポテンシャルの高さと引き換えに「係争地」的な側面も強く持っている。種類にもよるけど、おおむね「単一設計」といっていい上に、「サンドボックス(砂場)」などによってユーザー体験(UX)の安定が保たれているスマホに比べれば、動作は安定感を欠き、「気まぐれ」である。たとえるならスマホユーザーとは親に見守られながら公園の砂場で遊んでいる子供のようなものである(とすればPCユーザーは沖へ沖へと泳いでゆくチャレンジングな冒険者のようなものか)。もっともスマホはスマホで闇バイト勧誘とかSNS依存とかセクシトーションとか別のレイヤーのヤバさはあるんだけどね。いずれにせよ僕にとってスマホは「低年齢」向けデバイスに過ぎず、陰毛を生やしまくった大の大人が長時間使用すべきものではないのである。暇さえあればスマホばかりいじってる男や女とはぜったいに結婚しない方がいいよ。ほぼ間違いなく畜群マインド全開の知的未熟児だろうから。廃人系オナニートのお前が言うな? ごもっとも。AutoHotkeyだけど再度スクリプトを書き直し、なんとか以前の便利さを取り戻すことに成功した。ついでにF4でその日の日付を「瀬那~年~月~日」とニョロリと出すスクリプトも作った(当然~の漢数字部分もWindowsの日時参照によって自動表記される)。Windowsユーザーでなおかつ瀬那暦を採用している人のため、以下にスクリプトを貼っておきます。「メモ帳」にコピペして.ahk保存し、実行すればいい(ちなみに僕がいま動かしているのはAutoHotkeyU64.exe)。

F4::
FormatTime, y,, yyyy
FormatTime, m,, M
FormatTime, d,, d

sena := y - 2011

; --- ここから漢数字変換(壊れない置換方式) ---
StringReplace, sena, sena, 0, 〇, All
StringReplace, sena, sena, 1, 一, All
StringReplace, sena, sena, 2, 二, All
StringReplace, sena, sena, 3, 三, All
StringReplace, sena, sena, 4, 四, All
StringReplace, sena, sena, 5, 五, All
StringReplace, sena, sena, 6, 六, All
StringReplace, sena, sena, 7, 七, All
StringReplace, sena, sena, 8, 八, All
StringReplace, sena, sena, 9, 九, All

StringReplace, m, m, 0, 〇, All
StringReplace, m, m, 1, 一, All
StringReplace, m, m, 2, 二, All
StringReplace, m, m, 3, 三, All
StringReplace, m, m, 4, 四, All
StringReplace, m, m, 5, 五, All
StringReplace, m, m, 6, 六, All
StringReplace, m, m, 7, 七, All
StringReplace, m, m, 8, 八, All
StringReplace, m, m, 9, 九, All

StringReplace, d, d, 0, 〇, All
StringReplace, d, d, 1, 一, All
StringReplace, d, d, 2, 二, All
StringReplace, d, d, 3, 三, All
StringReplace, d, d, 4, 四, All
StringReplace, d, d, 5, 五, All
StringReplace, d, d, 6, 六, All
StringReplace, d, d, 7, 七, All
StringReplace, d, d, 8, 八, All
StringReplace, d, d, 9, 九, All
; --- ここまで追加する ---

Send, 瀬那%sena%年%m%月%d%日
return

(ブラウザ版)Copilotによれば、F4のコードがこんなに無駄に長くなったのは、AutoHotkey(v1)の仕様上、漢数字変換を関数化すると不安定になってうまくいかず、そうならないための置換方式(StringReplace)を使わざるをえなかったから。ただCopilotとは知的レベルの違うClaudeは、わざわざそんな冗長な書き方をしなくてもいいという。以下がClaudeの書いたF4のコード。

F4::
FormatTime, y,, yyyy
FormatTime, m,, M
FormatTime, d,, d
sena := y - 2011

digits := ["〇","一","二","三","四","五","六","七","八","九"]

kanji := ""
Loop, Parse, sena
    kanji .= digits[A_LoopField+1]
sena := kanji

kanji := ""
Loop, Parse, m
    kanji .= digits[A_LoopField+1]
m := kanji

kanji := ""
Loop, Parse, d
    kanji .= digits[A_LoopField+1]
d := kanji

Send, 瀬那%sena%年%m%月%d%日
return

さっきのCopilotのコードが「文字列一括置換方式」なら、Claudeのコードは「配列参照ループ方式」とでもいうべきもの。むろんこっちでも機能する。こっちのほうが行数が少なく、可読性に優れ、なんとなくセクシーなので、保存するならこっちのほうがいいよ。何がいいたいかというと、ほぼ同じようなことを指示するにしてもいろんなコードの書き方があるってことさ。コーディングの「最適解」は一つではない。ただいま気になったことがある。オイラはきほん「瀬那一五年」ではなく「瀬那十五年」と書きたいんだ。漢数字で書く場合、十の位に一を使うのは趣味じゃない。Claudeに書き換えさせよう。

F4::
FormatTime, y,, yyyy
FormatTime, m,, M
FormatTime, d,, d
sena := y - 2011

digits := ["〇","一","二","三","四","五","六","七","八","九"]

val := sena
GoSub, ToKanji
sena := kresult

val := m
GoSub, ToKanji
m := kresult

val := d
GoSub, ToKanji
d := kresult

Send, 瀬那%sena%年%m%月%d%日
return

ToKanji:
if (val < 10)
{
    kresult := digits[val+1]
}
else
{
    tens := Floor(val / 10)
    ones := Mod(val, 10)
    kresult := ""
    if (tens > 1)
        kresult .= digits[tens+1]
    kresult .= "十"
    if (ones > 0)
        kresult .= digits[ones+1]
}
return

瀬那十五年九月十一日。よし、ちゃんと吐いてくれた。まじClaudeに抱かれたいわ。彼によればこれは「配列参照・桁分解方式」とでも呼ぶのが適当らしい。ところで今日のこれ誰が読むの? 昨夜見た映画はフリッツ・ラング監督の『緋色の街(Scarlet Street)』(1945年)。「WY日本語字幕FILM」というユーチューブチャンネルで見た。なんで登録者が1100人しかいないのかわからない。まあこの「日記」の読者数がまだ三桁もいないくらいに節穴だらけの世の中なんだからそこまで不思議がることはないか。会計係として25年会社に勤めている中年男クリスがたまたま「助けた」美女に恋し、いろいろあった末に彼女をアイスピックで刺殺すというもの。これも(フィルム・ノワールの形式を借りた)「中年の危機」映画といっていいか。映画の劇構成って「恋愛をきっかけとした破滅」に頼り過ぎじゃない? オイラがたまたまそういうの見てるだけ?「幸福な家庭を築くことに失敗した男」とか「悪妻」といった紋切型が物語を動かしやすいのはわかる。不倫とか駆け落ちなんて「冒険」は現状に不満がないとふつうやらないもんね。 エドワード・G・ロビンソンって聞いたことない俳優なんだけど、覇気がないのに妙に愛嬌のある「謎の存在感」を示していた(見るからに臆病そうで、アイスピックで愛人を刺し殺すなんてことをやってのけるようにはぜんぜん見えないところが肝心)。殺された愛人の恋人ジョニーに死刑判決(冤罪)が下された後、電車のなかである新聞記者がクリスに向かって放つ箴言めいたセリフがいい。「(殺人者は)殺人からは逃れられない」「頭の中には小さな裁判所がある」「自分で裁くなら死刑のほうがましだ」。しかし映画ってのはやはりいいもんだ。映画も酒と同じような悪友になりつつある。気分によっては顔を見るだけでも嫌になるんだけどさ。いま角川シネマコレクションから『シコふんじゃった』が二週間限定公開されてるんだけど、見ようかな。『ウォーターボーイズ』みたいにイケメンの裸がたくさん見られるのかしら。トリス飲んでから考えるか。このごろ飲む上限量の原則が空文化している。時間だけはいちおうなんとか守れているけど、量はあきらかに平均200mlは飲んでいる。妖怪カラエズキが出ないのも問題だな。あんまり疎んじていたものだから気を悪くしてどっか行っちゃったのかも。あいつのおかげで僕は飲みすぎという破滅的危険を冒さずに済んでいたのかもしれない。もう疲れたよ書くの。「知的誠実性という狂気」と卓上メモにある。オイラみたいな不細工メガネが「田野憂ちゃんとやりたい」なんて書いてもキモいだけだ。これいじょうキモくなると親からの送金さえ途絶えてしまうかもしれない。生きるとはだんだんキモくなっていくことなんだ。(鈍感なので)他人事のように読んでいるだろう君だって例外ではない。鏡を見てみろ。誰からも愛されていない、薄汚い不細工男(女)の顔がそこに映っているだろう? 生きていてすみませんという激甚的羞恥心が秒速で沸き起こってくるだろう? こんな奴は母親の胎内にいるときにヘソの緒をつかって首を吊るべきだったんだと叫びたくもなるだろう? もうごまかさなくていいんだよ坊や。俺も君も同じくらい麗しき死に損ないなんだ。生まれてこないほうがよかった敗残者なんだ。僕らはみんな歩く生き恥なんだ。みんなみんな生きているんだ友達なんだ。大事なのはおのれの醜悪さを忘れないことだし、恐れないことだ。ファッツァワンダフルワールド。百合子の下生え。歩くチンポですみません。うぃあわ底辺チャンピョン。天才はあきらめた。僕は凡才の暇人として生きることに決めた。白タンクトップのことをwife beaterと呼ばないでください。どこ行っても大谷翔平の写真があってつらい。ほとんど大谷ハラスメントだ。都会では自殺する若者が増えている。傘がない。シャーロック・ホームズは腋臭症らしい。

 

 

《オナニート作家》というブルーオーシャン、実存と越境、「存在」の複合汚染、親鸞殺人事件、

瀬那十五年九月十日

ある人の身振りや話し方、身のこなしそれ自体は特別おかしく見えないのに、誰かがそれを模倣した途端に極めて滑稽になり得るというのは、実に興味深い現象です。そして、模倣が優れていればいるほど——その身振りが本人のものと同一であればあるほど——それはより一層おかしくなります。

Alenka Zupančič,The Odd One In:On Comedy(Gemini・訳)

午後二時六分。ミスターイトウのラングリー、カシューナッツ、緑茶。腕を切断され血を垂れ流している男がパラシュート落下していて、「脱出装置」的なものをいじったせいで自分だけロケット噴射的に飛ばされ、地面に叩きつけられて即死する夢を見る。離床時間前倒し作戦のなかにあるというのに、こんな時間にぬけぬけとPCを開くとはなにごとだ、やる気あんのか。あるわけねえだろ。おいらは生まれてから死ぬまでずっと寝てたい派なんだ。死ぬ直前に起こしてほしい。棺桶の中で寝れば動く手間が省ける。小学校も中学校も高校も行きたくなかった。アホばっかだもん。きのうEPUB版『夜露乳首金玉崩壊日記1』が完成した(いま放火日記と誤変換された)。想定したより早く終わった。特にトラブルもなかった。ほとんどClaudeの一人舞台といっていい。僕はあってもなくてもいい「まえがき」と「あとがき」をさっと書いただけ。どんなに少なく見積もっても15万文字は軽く超えてるだろうから、ちゃんと読み返すと種々の不備(誤字や表記の不統一など)は確実に見つかるだろう。俺は気質上、校正なんかに時間をかけられないんだ。そもそも売れっ子なので過去に書いたものに関わっている暇なんかない。そんなタスクはぜんぶAIという現代の奴隷に丸投げしたい。新著はサイドバーのリンク欄から自由に落とせます。いずれ「エッセイ」の古典となって世界中で読まれるでしょう。「第一の読者」という名誉を凡人のあなたに差し上げます。僕はまだ自分のPCのCalibreでしか確認してないんだけど、いわゆるリフロー型なのでリーダーや端末が変わってもそこまで大きく崩れないだろう。そもそもゼロ円頒布なので「文字化けして読めないぞ」的な情弱どもの苦情に応答する義理はない。トラブルはお前たちだけでなんとかしてくれ。きょうも安定してポコチンが臭いだけの無責任男。オイラはとにかくゼロ円ってのが大好きさ。タダより安いものはない。「菩薩の愛」や俺の著作もそうだけど、真に価値のあるものはすべてゼロ円で手に入るんだ。高い値段の付くものにはたいていなんの価値もない。聞くところによると極楽浄土の官営マンションの家賃はタダらしい。僕の行き先は地獄だと決まっている。両菩薩との進路相談でそう決めたんだ。「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」。さっこんは自他ともに認める極悪人さえもが無神経にも極楽に行きたがるので、極楽は人口過剰で喘いでいる(極楽は制度上、流入者を拒めないことになっている)。いっぽう地獄は行きたがる者がほとんどいないので(本当は全員がここに行くべきなのは明らかなんだが)、深刻な人口減とそれに伴う税収減によって地方のインフラを維持・管理することさえ年々難しくなってきている。隠したってしようがないので言うけど、オイラは閻魔大王(彼は飲み友達でもある)に地獄の次期総理大臣に任命されているんだ。娑婆でのこれまでの経験を活かし地獄の抱える諸問題をなんとか緩和してくれというんだ。しょうじき面倒くさかったがかなりの報酬額を提示されたので引き受けてしまった。僕は閻魔に「地獄の人口を増やすには身を切りまくる改革が必要だ」「これからの時代は冥界行政にも合理化のメスを入れねばらない」「地獄を極楽以上に魅力的な場所へと改革する必要がある」といったようなことを話した。提案を具体的に言うなら、「地獄政府効率化省の設立、高給取りなのにろくに仕事をしない地獄中央官僚の大量解雇、地獄税の一律減税、負の所得税の導入、AI導入による審判コストの削減、刑務所の民営化による獄卒人件費の削減、公営住宅の家賃ゼロ円化、地獄の大焦熱区一極集中の緩和、初等教育の充実、読書の義務化、戦争放棄、地方分権、交通インフラの整備、そして極楽に流れた悪人どもの集団拉致による低賃金労働力確保」。詳しいことはいずれこの日記で報告する。始末記というかたちで本にしてもいいかな。就任は来年の四月。閣僚人事もすでに決めてある。久しぶりに黒タンクトップ一枚で駅周辺を歩きたいな。昨夜アパートの周辺を歩いたが、やはり人がそれなりにたくさんいるところじゃないと「セクシーな俺」を感じられない。これいじょう腹が出るとぴちぴちのタンクトップを着れなくなる。「脇毛を剃った男は醤油のない刺身みたいなものだ」と以前どこかで書いた覚えがある。この体毛大迫害時代のなかあえてタンクトップ一枚で脇毛を風になびかせている英雄おとこたちに僕は畏敬の念さえ抱く。きょうこのあとどうしようかな。土砂降りでなければ図書館に行ってもいいかな。やはりEPUB原稿でも書こう。α読みとかみたいに原稿を書く時間の「最低枠」も決めたほうがいい。でないと気が付けばポコチンをいじることしかしていないこの俺がコンスタントに本を出すことなんて不可能だ。年2冊は出さないと作家失格だからな。人間失格でも菩薩失格でも僕は構わないが作家失格だけは嫌だ。とりあえずこれも30分ね。どんな日も原則として30分は原稿書きに当てること。そういえば昨夜、共有部(廊下)や自転車置き場の照明が全滅しててめっちゃ暗かった。そればかりかオートロックの自動ドアが開かず手で無理やり開けた。もう直ってんのかな。低家賃アパートだからか管理会社もそこまで必死に対応していないように見受けられる。まあ部屋に電気が通ってるから別に構わんのだけど。俺は金玉が臭いだけのケダモノだ、という自覚はとうぜんある。だからといって俺が俺同様の自覚を持てない彼らよりも「上等」だということにはならない。塩糀に漬け込んで焼いたポークステーキが食いたくてならない。あのアオキは九時過ぎになると肉がぜんぶ売れ切れている。闘う男とポークステーキ。ヘーゲル『精神現象学』の「消失する契機(verschwindende Moment )」についても書くつもりだったんだけど、ウンチしたら急に眠気が強くなったので、書けない。俺のヘーゲル研究についてはいずれちゃんとまとめるつもり。以前もたぶん書いたけどヘーゲルは(哲学的)遅漏男代表みたいな人物なので、チンコを膣に挿入してもそう簡単には発射しない。挿入したままうだうだうだうだ考えながら腰を振っている。僕はヘーゲルのあの腰振りのリズムが最初はひどく苦手だったんだが、このごろはそれもあるていど認容できるようになってきた。まあ俺は彼とはエッチしたくないけどね。息くせえし顔きたねえもん。そのM字開脚芸で俺をさんざん笑わせたバーミヤン小林のおふくろは、越境リスクのことなどおそらく、考えたこともなかった。だからこそああやってわけもなく越境できたんだ。オイラも越境したい。しかし「越境したい」と考える者は最後まで越境できないだろう。越境者など存在しない。越境という事実だけが存在する。寝るより楽はなかりけり。田野憂とやりたい。おいらは憂ちゃんとやりたいだけのケダモノだ。ケダモノにはケダモノにふさわしい身の処し方がある。天才です、みません。「存在者」であっていいことなんて、ひとつもありません。「存在者である」とは辺り一面の屈辱だ。おふくろはたぶん理研のわかめスープから生まれたんだ。一緒にお風呂にはいったとき股間にワカメをつけていた。そういえば父親も股間にワカメをつけていた。いまのオイラも?

 

 

EPUB戦記、黒タンクトップほど残酷なトップスは存在しない論、

瀬那十五年九月九日

冷笑とは、まさに「もの」を安全な彼方に保つことによって、「もの」に手を出させず、見えないままにしておくことに完全に没頭しているものなのだ。

Alenka Zupančič,The Odd One In:On Comedy(Gemini・訳)

午後一時二十三分。チンしたご飯、木綿豆腐。ABBAの「チキチータ」が脳内再生中。劈頭から尾籠な話で恐縮なんだけど寝てるあいだ肛門が痒くて掻いてばかりいた。だから指がウンコ臭い。このごろ腹がやたらにゆるく液状の便ばかりしているので皮膚がただれているのかも。起床時間後ろ倒しによる「冥界くぐり」は不合理なので中止した。あの全会一致はなんだったんだ。まじおれ独裁者。議会なんかその気になれば潰せる。弾劾訴追案も恐くない。前倒しの方が体への負担も少ないのは明らかだ。「生活は合理的に」を隠れモットーとしていないような生活者はいないだろう。いるとすればそれはきっと「本物の狂人」だ。明日から十分ずつ起きる時間を早めていこうか。最終的には午前十時半くらいに半固定させたい。このヨロキン日記の電子書籍化が正式に決定しました。ぱちぱちぱち。むろん俺が代表を務める佐瀬書房から出す。一年分をまとめてだと量が多くなりすぎそうなので、こんご「日記」に関しては上半期(1月~6月)と下半期(7月~12月)に分けることにしよう。ヨロキンは今年(瀬那15年)の3月14日から書き始めたので下半期に比べれば量は少なくなるだろう。内容の面白さとキンタマ臭さについてはそれなりに保証する。少なくともそのへんの命を削らない凡庸な身辺雑記群や、脳漿を絞らないあの書き散らし系ブログ群に比べれば「読み物」としてずっと知的刺激に富んでいるだろう。おそらく今日か明日には完成してDropboxからダウンロード可能なかたちにする。なんで売らないんだって? 自分のゲロやウンチやチン毛に値段を付けて売るアホウがどこにいるんだ! 表紙はもう完成しているんだ。またPhotopieとペイントだけで作った。オイラには装丁家(ブックデザイナー)としての才能もある。「天は二物を与えず」なんて大嘘だからね。このほとばしるマルチの才能の一部をお前たち凡人に分けてやりたいくらいだ。松山千春みたいなことを言うな。余白がやや広すぎたかなと思わないでもないけどもう直すのめんどうくさいのでいいや。なんであれ余白を軽んじるようでは大物にはなれない。大物とは余白そのものなのだから。いちおうEPUB作家も名乗ってる以上、それなりのペースで本を出していかないといけない。自称作家ってのを俺は大嫌いなんだ。かつてそうだったので尚更。どんな形式であれ200頁以上の本を年に2冊以上は流通させてこそ作家だ。EPUBというのはZIPをベースにした電子書籍フォーマットのこと。ChatGPTなどによればだいたい以下のような構成になっているという。

my-book.epub/    
├── mimetype →EPUBの名札
├── META-INF/ →OPF(設計図)の場所を指定
│   └── container.xml 
└── OEBPS/
    ├── content.opf →本全体の管理
    ├── nav.xhtml →目次
    ├── text/ →本文
    ├── styles/ →CSS(装飾)
    ├── images/ →画像
    └── fonts/   →フォント

EPUB作家として多少はテクニカルなことも理解してんだぞということを初心者にさりげなくアピールし悦に浸ったところでコーヒーでも飲もう。まことカフェイン飲料は「頭脳労働者」のガソリンである。カフェインなしでは生きられない。僕はアルコールよりもカフェインのほうにずっと強く依存している。このあときっと深夜まで作業に没頭することになる。イライラの嵐は必至。ブラウザ版Copilotとは仕事の出来が違いすぎるClaudeの働きなくしてはEPUB作りなんて不可能だ。映画は見れないかな。フリッツ・ラング監督の『緋色の街(Scarlet Street)』を字幕付きでアップしてくれている人がいたので今夜見るつもりでいたんだけど。馬鈴薯でんぷんで作るラブローションのことだけど、当然ながらその種類によって粘着性や質感に違いがでる。さいきん使っているのはフランス原産のもので、水をこれまでよりも多めに入れないとネチャネチャし過ぎて亀頭の気持ちよさが半減してしまう。ラブローションはシャバシャバ過ぎてもいけないしネチャネチャ過ぎてもいけないのだ。塩梅が難しい。それこそ大さじや計量カップが必要かもしれない。おいら料理では徹底して目分量主義者なんだけどな。レンジで「チン」する時間ももちろん大事。僕がいずれ陰毛沢東もしくは金玉日成の筆名で出すことになる『オナニー入門』は〝オナニートのバイブル〟として扱われるような一冊となるだろう。オナキングがみずから筆を執るんだから当然といえば当然。ポコチンよりもケツの穴が痒い。俺に言わせれば「白タンクトップは上級者向け、下手に着用すると山下清化する」なんていうのは何重もの誤解に基づいたタワゴトである。もうだるいので詳しくは書けないけど、白タンクトップは黒タンクトップに比べればはるかに着る者を選ばない。黒タンは体の線を強く出すうえに肌の「存在感」(生々しさ)を際立たせるので、それを真にセクシーに着こなせるのは、「男の中の男」だけだ。お前が黒タンを着るのではない、黒タンがお前を着るのだ。「黒タンは七難を隠す」というのは見ようによっては半分事実だが、でもそれを「黒タンは着る者を選ばない」と解してはいけない。そこを勘違いしている田夫野人が意外と多いんだ。自動車の色をとりあえず黒と決めるような軽いノリで黒タンを選んじゃいけないよ。黒タンを着用するということは「俺はそもそも黒タンにふさわしい男なのか?」という終わりなき自己審査(美的自意識)の渦に飲み込まれてしまうということなのだ。そんじょそこらのナルシストダンディではとても耐えられまい。小汚い貧民が貴族の服装を真似たってしようがない。そういう滑稽さも嫌いではないんだけど。タンクトップ評論家としてもいずれ一冊書くつもりだ。待ってろ。ちなみにオイラの愛用している黒タンはAVIREXとMILLERね。前者はsmall。コロナ禍(10万円もらったりしてオイラにとっては「禍」どころか「福」だったんだが)に買った。もう何十回も洗濯しているのに締め付け感がまだ衰えない。優秀過ぎ。コーヒーおかわり。バーミヤン小林のおふくろがとうとう越境したそう。いずれ越境する女であるような気はしていた。先週エッチしたときもがばがばゆるゆるだったし。バーミヤン小林もいずれ越境を決断するだろう。実存とは越境し続けることである。君の奥歯が希死念慮を抱いている。玉虫色に光っている。振り向けばフンドシ一丁で素振りする今岡誠。ILLAY演奏のBaila Caporalが聞きたくてならない。セナ様に抱かれたい。

前回の表紙に写真をコラージュ的に重ねていくという前衛手法、

 

 

握りこぶしのなかに、あるように見せた夢を、

瀬那十五年九月八日

そのように感じられているとのこと、お気の毒に思いますが、自傷行為や自殺行為に関するサポートやガイダンスを提供することはできません。ただし、サポートを提供できる人に連絡することは重要です。お友人やご家族、またはメンタルヘルスの専門家に相談してみてください。一人で抱え込む必要はありません。

Copilot

午後四時五分。特に書くことなし。就床時間の後ろ倒しによる「昼夜逆転修正」(冥界くぐり)の決行がさきほど全会一致で認められた。たぶん四月以来かな。いまから明日の午前十時までは目を覚ましていないといけない。途中睡眠は極力とらない。雨なので買い物に行けない。塩麴はあるのにポークステーキがない。ジュパンチッチのδ読みを進めようか。酒はむろん飲む。このごろ250ml以上は必ず飲んでる。時間も守れない日も少なくない。人間失格というより菩薩失格だ。『菩薩失格』というタイトルいいね。一度〝私小説〟のようなものも書いてみたい。図書館は一週間後からまた行く。今回の冥界くぐりで僕は「新生」を得るだろうか。今回の冥界くぐりが「復活」の契機となることは間違いない。振り向けば裸足のダスティン・ホフマン。