瀬那十五年五月六月二日
朝鮮半島における一九四五年八月十五日は、「解放」と呼ばれる日であり、「戦後」とは、主に朝鮮戦争の停戦以後(一九五三年以降)の時間を指しています。また中国の場合、八月十五日は抗日「勝利」の日として記憶されていますが、実際にはこの日から一年も経ずに事実上の内戦が勃発し、四九年の新中国の成立まで戦われることになりました。そして中国は、さらに息つく暇もなく、国際共産主義の大義において五〇年に勃発した朝鮮戦争に参戦するとともに、アメリカ合衆国の支援を受けた台湾の国民党政権との対峙関係を継続していくこととなります。つまり中国の場合、「戦後」はずっと訪れなかったということになるのです。
丸川哲史『日中一〇〇年史 二つの近代を問い直す』光文社
午後十二時九分。ロイズの板チョコレート(ラムレーズン)、ピーナッツ、緑茶。二時半には床に就いたのにやはり寝るのに苦労した。たぶんけっきょく寝たのは四時過ぎだっただろう。ただボールペンを握ると、「書かねばならぬモード」になることの副作用か、眠気がほんのすこし誘引されやすいことがわかった。今夜はさらに枕元にノートを置いてみることにする。離床後、書きたいものをすべて書くためにも、午前十時前後離床が必須だ。せめて午前二時には入眠態勢に入りたい。晩酌だけどウイスキーの上限を50mlにしてもいい(10mlまでは誤差として許容)。そうしたほうが悪酔いリスクをさらに低減させられるし、なにより長持ちする。きのう夕方、「古書&アートブックバーゲン」なるものが開催されている近所のうつのみや書店で、春山行夫『西洋広告文化史』(上下)と芝山幹郎『今日も元気だ映画を見よう 粒よりシネマ365本 』を買った。しめて1950円。この散財を相殺するつもりでその後約一時間かけてセルフ散髪。むろんダイソーのヘアカッターを使って。QBハウスやカットコムズはもう死ぬまで行かないと決めている。ついでに陰毛も10ミリ程度短くした。オナニーがやりやすくなるだけでなく、入浴後乾くのが速くなるという利点もある。陰毛が乾かないままパンツをはくことに気持ち悪さを覚えない男はきっと、いかなる革命も起こせない。革命行動の起点には「なんか気持ち悪い」の高まりが必要不可欠だからだ。図書館という戦場に通い続けるために必要なのは、「全部読んでやる」という決意と「生きて帰れなくてもいい」という覚悟だけだ。食うか食われるか、勝つか負けるか、なんて考えるな。試合前に「もし負けたら大変なことになりますが」なんてことをアナウンサーに言われて「出る前に負けることを考えるバカがいるかよ!」と激昂したアントニオ猪木のことを思い出す。オイラは図書館のナポレオンというよりアントニオ猪木だ。雑魚どものノイズに惑わされないこと。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という新書が話題になったせいだろうか、本を読めない理由を「働き方」や「スマホ」に安易に求めたがる人が増えた気がする。私は「半身で働く」とかそういう話には興味はない。人々が長い時間をかけて本を読まなくなったのは、本や図書館に選ばれる者が少なくなったからだと考えている。これはたしかに「社会の問題」でもあるのだろうけど、それ以前に「教育の問題」である。「私を読め」という本の命令が聞こえなくなっている(らしい)のだ。どうしてこうなっているのか、についてはこんご考えていかねばならない。生きるとは読むことだ、ということはやはり何度でも愚直に繰り返していきたい。人は本さえ読んでいればあとは何もやらなくてもいいのだ。ユニバーサルベーシックインカム(あるいはそれに類する制度)が必要なのは、まず誰もが本を十分に読めるようにするためであって、好きなことをやるためではない。ありていにいうならそれは「読書時間の再分配」としてあるべきなのだ。読書する時間を有することは基本的人権である。なぜなら本を読まないと「猿」は人になれないから。きのう見た映画は、クリスチャン・アルバート『ケース39』。ソーシャルワーカーのエミリーが引き取った少女リリスが実は悪意そのものといったような存在で――。レビューサイトには『エスター』に似ている的な感想がやたら多くてなんか腹が立った。知らない映画のことを基準にして語られると、自分の情弱性を嫌でも実感させられる。オイラは『エスター』なんかぜったい見ないからな。この映画、人を人とも思っていない少女の表情がいい。とくにカウンセラーのダグラスに対しての少女の発する言葉の容赦のなさは(「軽薄で、傲慢で――」)、訳知り顔に近づいてくる大人全般への嫌悪を示して余りある。この少女は周囲の大人たちに無限の「優しさ」(服従)を求めていただけなのだ。あらゆる子供のなかにはリリス的なものがある。リリスのあの異常ともいえる自己中心性は、子供の基本的「愛情欲求」をただ極限まで濃縮しただけのものであり、その点を見落とすとこの映画の「本当の怖さ」がわからない。エミリーがさいご少女の見せる幻覚を恐れず「突破」する場面でふと、「本当に恐れるべきは恐れそのものである」というフランクリン・ルーズベルトの第一回大統領就任演説における名文句を思い出した。こんな野暮なことはない。まだ書き足りない気もするけどあんまり時間がないのでやめる。時代の関節が外れている。脳髄通電攻撃。諦めたらそこでおわりだ。つーつーれろれろ。悲しみの金縛り。春のちんぽこ祭り。おいらは勉強ができない。